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ロ・ヴー

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Posted byロ・ヴー

ちょっと、北京 (3)

ロ・ヴー

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紫禁城:後左門

後左門のところには、黄色い衣装の小さな皇帝たち。
私も皇帝の気分を味わって見たかった。(笑

この辺りでようやく紫禁城の中間地点。
広大な紫禁城は、歩いても歩いても、ずっと紫禁城が続きます。


紫禁城:九龍壁

ここからは外東路と呼ばれるエリアで、中国で有名な三つのうちの一つ
『九龍壁』が最初に現れます。
瑠璃装飾の壁で9匹の龍が描かれていますが、9という数字は
中国では最大の陽数であり、天子の尊さを表します。

当然のことながら、正面から9匹を入れるのは無理。
ナナメからの構図にするか、パノラマで撮れば良かったかも…。



紫禁城:暢音閣

1776年に完成の暢音閣は、京劇用の舞台。
西太后が京劇を好んだと言われています。


紫禁城:珍妃井_01


紫禁城:珍妃井_02

『珍妃井(珍妃の井戸)』。
光緒帝が最も寵愛した妃であった珍妃が、1900年8月15日、
西太后の命により、生きたまま投げ込まれた井戸。
大変に聡明であり、光緒帝の改革運動を支持したが故に
西太后の不興を買ってしまったためと言われています。

西太后という女性は、日本では中国史上、屈指の「悪女」として
有名ですが、実はそうばかりでもないと思うような事がありました。

「もし彼女の立場だったら、誰でもそうせざる得なかった。
彼女は国を背負っていた。人民を守る責任があった。
光緒帝は実力がまだ十分ではなかったのに、慈禧に逆らい
政治を乱そうとしたため、仕方がなかったのだ」と聞きました。

私たちの歴史感とは随分違います。

ふと、浅田次郎さんの著書にあった言葉が思い出されました。

「中国人は必ずしも西太后の事を悪女だとは思っていない。
彼女のことを慈禧(ツーシー)と親しみを込めて呼んでいる。」

そう言えば、彼女も西太后ではなく「慈禧」と呼んでいました。

<つづく>

By サ
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