十三夜に想う

ロ・ヴー

中秋の月も美しいけれど、澄み切った秋の空に浮かぶ、十三夜の月もまた
えも言われぬ趣がある。
十三夜の空は中秋のそれよりもひんやりとしていて、月の冷たく、そして
やわらかな光が地上を照らすようにも見える。

昔から、太陽を歌った詩よりも月を歌った詩の方が多い(と思う)のは
月の光に心を慰められた人が多いからかもしれない。

そして

月の描かれた絵で最も気に入っているのが、横山大観の『霊峰十趣・夜』。
何が好きなのかと言われると困ってしまうのだが、夜空に白く浮かび上がる
富士の山と空に広がる満点の星、そして下弦の月。
富士山の形も、月の位置もこれ以外にはないと言うほどピタリと心にくる。

この絵を見てから、下弦の月を見てみたくて、幾度となく夜空を探してみる
のだけど、なかなか見つけられない。
そのうちに、この頃の月の昇る位置が都会の空では見ることが難しいと
いうことに気が付いた。

それ以来、下弦の月は私にとって決して見ることのない幻の月。
杭州の西湖に小さな舟でも浮かべて、ずっと空を眺めていれば、
もしくは
大観の絵ように、富士山のよく見える大きな広い空をじっと見上げてみれば
もしかして、その月が見えるのかもしれないけど‥。

横山大観について詳しいことを知らないので、この絵が実際にその風景を
見て描かれた月なのか、それとも心の目で見た月なのか私には解らない。

なれど

本当に大切なものは、目に見えないことの方が多い。

目に見えるものの、その光のうしろ側にある影の部分を見るためには、
心の中の瞳を見開いて心を研ぎ澄ませ、音に聞き、匂いを感じ、肌で
感じることが大切。
心というフィルターにかけられて、目に見えないもの、手に入れられない
ものはより美しいと思うのかもしれない。

だとすれば、下弦の月はもうずっと私の側にある。
今までも。これからも。

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Posted byロ・ヴー

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