森川如春庵の世界

ロ・ヴー

名古屋市博物館開館30周年記念特別展「茶人のまなざし 森川春庵の世界」
に行ってきた。
森川勘一郎(如春庵)は明治20年生まれの尾張一宮の大地主、森川家の
当主であった(昭和55年没)。
彼は、16歳にして本阿弥光悦作の茶碗「時雨」にあこがれ、それを所持したという。

如春庵は、三井物産の初代社長で日本経済新聞の創立に活躍した益田孝(鈍翁)
に非常にかわいがられており、鈍翁が如春庵に送ったという品々も数多く
展示されていた。

鈍翁、如春庵ともに「佐竹本三十六歌仙絵巻」の切断に立ち会い、如春庵は
巻頭の「柿本人麻呂」を引き当てた強運の持ち主として知られている。
また、現在は切断されて、それぞれ国宝や重要文化財に指定されている
「紫式部日記絵詞」の発見者としても有名だそうだ。
あまり期待せずに出かけただけに、今回の展示会は予想以上によかった。
古田織部作の茶杓、国宝:志野茶碗 銘「卯の花墻(うのはながき)」、
重要文化財となった本阿弥光悦作、黒楽茶碗 銘「時雨」、同じく光悦作、
赤楽茶碗 銘「乙御前(おとごぜ)」など、目を見張るような作品が並ぶ。

それらの有名な作品とは別に、心を引かれる展示品が何点かあった。
鈍翁、如春庵ともに、近代を代表する茶人としても高名であり、如春庵に
いたっては、生涯に3000回を越す茶事を催したと言われている。
彼らは、自ら書画を描き、茶碗や茶杓、花入れなどをも作った。

親子ほども歳の離れた如春庵は、鈍翁にずいぶんと無理を言っていたようだ。
90歳の鈍翁に書を依頼し、3度書き直しをさせたそうだ。鈍翁が3回目の
書を如春庵に送った時に添えられた手紙に「これ以上無理を言ったら絶交だ」
とあったらしい。もちろんそんなことは本音ではない。
なんとも微笑ましいエピソードである。
また、茶事に使う茶杓を作って欲しいと頼まれた鈍翁は、病の身でありながら、
茶杓を2本作る。「1本は手元に置いておきたいので、茶事が終了したら穴の
あいた方を返すように。」と言ったにも関わらず、結局、如春庵は、穴の
あいていない方の茶杓を返してしまう。
(何という強引な!)
これについても、鈍翁は「当方の戦略ミス」と言って許している。

その他に印象的な作品は、鈍翁作の竹の花入れだった。
如春庵が欲しいと懇願したが、これだけはダメだと拒み続けていたという
花入れがあった。
節の感じ、全体のバランスがとても素晴らしい作品だ。
ある時、如春庵が盲腸炎を患った時のこと。快気を祝う茶事の際、その
花入れが飾られており、その前に「贈 快気祝い」と箱書きがあったという。
(あいまいな部分もあるので多少の記憶違いがあるかもしれません)

重要文化財や国宝となる物は、もちろん文句のつけようのないほど素晴らしい。
しかし、そういった物以外にも、それぞれの物語がある。

今回の展示会では、益田鈍翁、森川如春庵、二人の友情と言うか師弟愛
(適切な日本語が見つからずうまく表現できません)みたいな、特別な
深い情愛のようなものを感じた。
そして、それぞれの作品から二人の慈しみの心が伝わってくるような気がした。
『益田鈍翁が愛した中京の麒麟児』と言われる如春庵の世界が、
確かにそこにあった。

関連記事
Posted byロ・ヴー

Comments 1

There are no comments yet.
-  
管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2008/03/30 (Sun) 11:43 | EDIT | REPLY |   

Leave a reply